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日本の歴史と本わさびの変遷

日本古来の植物といわれる本わさびは、日本の食と健康に大きな影響を与えてきました。書籍「わさびの日本史」をもとに日本の歴史と本わさびの変遷を辿ります。



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本来は薬草として、本わさびを用いていた

「わさびの日本史」によると、本わさびはDNA分析などにより日本列島に人類が到達する以前から存在していた日本固有種であることがわかっています。本わさびの歴史は古く、飛鳥時代の木簡をはじめ、本わさびについて記された書物などがいくつか確認されています。日本最古の薬草事典「本草和名(ほんぞうわみょう)」に「山葵(わさび)」の文字が記載されているなど、古来は食材というよりも薬草として用いられていたようです。具体的な料理法が登場するのは平安末期の「厨時類記(ちょうじるいき)」です。そこには「『寒汁の実』として山葵を用いる」との記述があります。汁物に本わさびというのは意外ですが、平安時代では、調理の段階で味付けをするのは汁物類だけで、塩・酢・酒・醤(ひしお)の「四種物」に加えて、本わさびも味の変化を楽しむための調味料として用いられたと考えられています。

室町時代には酢と合わせて鳥や貝を一緒に食していた

室町時代ごろは、本わさびは酢と合わされることが多かったようです。「鳥類にワサビ」という記述もあり、鳥や貝と一緒に食されていたようです。

再現レシピはこちらから:「鶏肉としめじのわさび酢和え」

安土桃山時代になると本わさびは、磯菜卵、梅仁卵、伊勢豆腐、紅半ぺんなど、さまざまな食材に組み合わされていたという記録があります。また、同時代の茶会の資料には「鯛をかいたものに山葵をつける」とあり、焼いた魚をほぐしたものにお酒を浸した本わさびをつけて食べるのが、中世末期の特徴的な食べ方であったと推察されます。

江戸時代に庶民化した本わさび「粉わさびの開発」で日本全国に広まった

江戸時代に入ると、本わさびの利用が急激に増加します。江戸時代前期になると、しょうがやからしに代わって本わさびが使用される頻度が増えます。江戸時代前期に刊行された料理書には、詳しい栽培方法やわさびおろしの絵まで紹介されており、本わさびが広く庶民に浸透しつつあったと考えられます。そして、江戸時代後期の江戸では四代名物食(蕎麦きり、てんぷら、うなぎ、握りずし)が生まれ、そばやすしの薬味として本わさびが愛用されるようになりました。また、江戸中期には定置網漁が発達し、マグロが本格的に獲れるようになりました。同時期に醤油産業が発達し、マグロを醤油に漬ける「ヅケ」が浸透。さらに伊豆で本わさびの大量生産が可能となり、江戸までの船での流通が確保された時期とも重なったことから、江戸前寿司のネタや刺身として、マグロ・醤油・本わさびの組み合わせが定着したと考えられています。「握りずしにわさび」「刺身にわさび」の文化が日本全国に広がったのは昭和に入ってからと言われています。その背景には、「粉わさびの開発」が大きく影響しています。栽培が難しく、鮮度が落ちやすい本わさび。金印の創業者・小林元次をはじめ、三社が粉わさびの研究に打ち込みました。加工わさびの生産量が高まったことで日本中に広がり、現在のように私たちの食卓で愛されるようになりました。

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